〜Mamaの日記〜
■ 2010/01/31 (Sun) 雑誌に載りました ロスには無料の日本人向け情報雑誌がいくつかある。その中でもメジャーなLight Houseという雑誌に「アメリカで働く」というコーナーがある。
そこにこの度載せてもらうことになった。
ことのはじめは友だちから。雑誌社の人と親しい友だちがたまたま私の話をしてくれてそこから是非取材をという話しになった。
LA日本人ナースの会も会員90人を超え、たくさんいるようには思うが、散らばるとまだまだこのエリアでもマイナー。ナース関係じゃない場所へ出向くと「え、ナースしてるんですか?」と日本人がナースとして病院で働いていることに驚かれることも珍しくはない。
ま、そんなことがあって、彼女にとっても私が珍しかったんだと思う。
11月にそんな話が出て、12月の最初に取材を受け、写真をとってもらい、その後校正がきて多少修正・加筆させてもらいできあがったのが数日前に出たところ。
取材を担当してくれたのは関西出身のほぼ同じ年のお兄さんだった。私の話を聞きながら書き取るのか・・と思っていたが、会話はすべてレコーダーに。今風やね。
インタビューをレコーダに吹き込まれるなんてIELTSやTSEのスピーキングのテスト以来。いやな緊張が一瞬よみがえって構える自分がいた。
リラックスして・・と言われた。完全に読まれてる・・・笑
で、一問一答・・・だけどたぶん一問三答くらいになったかしら・・。適当にしゃべるのは好きだけど、こうしてちゃんとしゃべるのはダメ。何言ってるんだか、まとまらないったらありゃしない・・・。
90分ほどしゃべったけど帰りには(私、何話ししたっけ??)って感じだった。
さて、あの私の四方八方に散らばった話、どんな風にまとまるんだろう・・・なんて思っていた。
校正がメールで送られてきたとき、正直感動した。
すごい!めちゃまとまってる!
起承転結がある!!
って・・・。
いや〜、この度のこの経験で、こういう本や雑誌を作る「編集」ってお仕事にとてもプロフェッショナルを感じた。
その内容とは・・・私の人生を過去・現在・未来の3部構成でまとめてくれていた。
たくさん話してもらったが、読者の興味をひく部分、そして私自身の人柄がよく出ている部分に焦点をあてました・・・ということだった。
驚いたのは亡くなった父親の話しがわりと記事を占めていたこと。正直そこに焦点をあてて話したつもりはない。が、これが読者の目をひく部分なのかな・・と思った。
これまでの人生でも親しい友だちにもあまり話さない話しだ。お涙ちょうだいと思われるのがいやだったから・・・。
校正の段階で考えた。父親の内容が外に出るというのになんとなく照れというか抵抗みたいなのがあった。
でもいいか!と思うようになった。
事実だし、お父さんあっての自分だし、あの段階で亡くなったから今の自分がいるというのもきっとあるだろうし・・・。
現在働いているところの写真が1枚欲しいとのことで職場でとるようにお願いされた。
職場で・・・っていったって、グロイWoundの写真やポトラックパーティーの際の写真は山のようにあるが、自分が働いているところの写真なんてない。
・・・ということで、協力してくれるリピーターの患者さんにお願いし、同僚にもお願いしとってもらった。
何かを「やっているフリ」で最初は撮ろうとしていたが、笑ってしまいとれない。妙にウソっぽい写真になる。
なので、ほんとに処置するところをとってもらうことにした。するとわりといいのが撮れた。
雑誌ができて同僚とその患者さんに見せると小さい写真ながらも喜んでくれた。しかしほぼ日本語で何について書かれているのかさっぱりわからない・・と。そりゃそうだ。「私たちの悪口書いてないでしょうね〜」なんてつっこまれる。
ってか、それ以前に雑誌が左から右へ開けていくこと、文字をたてに読んでいくことに驚いて興奮していた。ありえない〜!!!って。。。
ま、そんなこんなありで、思いもかけずこれはいい記念。ほんとにいい機会をいただいたなと思う。
来月ちょろっと日本に帰りますが、母親へのいいおみやげになりそうです。
■ 2010/01/02 (Sat) 2010年も宜しくお願いします! 年が明け、2日になります。
このウェブも開けてからまる8年が経とうとしております。
更新できてない部分がほとんどで古い情報をそのままにしていることに疑問を感じないわけでもありません。
また私の日記に関してもほとんど更新ができておらず1年前の日記までも数回のバックボタンクリックで戻れてしまう状況。。。
しかし意見交換・情報交換で掲示板に訪れてくれるたくさんの方々がいらっしゃることもあり、有効にここを使ってくださる方がいる限り、とりあえず当面はこのままこのウェブ自体は続行させようと思っております。
管理人のレスが少ないながら掲示板が成り立っていけているのはマナーのある方々が気持ちよく書き込んでくださるおかげです。
今後も苦労したこと、大変だったこと、イミグレーション情報など、なんでも同じ境遇の方々と共有できるスペースとしてどしどしご利用ください。
今年もどうぞよろしくお願いします。
今年も年の初めとして去年の反省と今年の目標をまとめて・・・
1年前の日記に先ほど戻りました。大きくは以下の3点を書いていました。
・だんなに転職してもらいたいこと(=家庭の手助けを望む私)
・おまめくん元気に成長してもらいたい
・私WOCのプログラムを終わらせる。
1つ目。だんなの転職。
かないました!いや〜、私の念力が通じたのかしら・・・と日記を読み返して怖くなりました。話すと長くなるある意味予期せぬどっきりもからんだ転職ストーリーだったのですが、何でも「なるようになる」とはこのこと・・・。だんなはやりたいことができる環境に近づけたようです。30代最後になる今年、男の人生脂がのってくるこれからの時期にいい仕事ができるよう妻として貢献していきたいと思います。
2つ目。お豆くん
かわいい2歳2ヶ月児です。ほんとに教科書どおりというか発達が遅くもなく早くもなく・・・と言ったところです。妊娠中・産後が大変だったことが多かったので神様が公平に・・と思ってくれてるのでしょうか・・、育てる面においては楽しくやらせてもらっています。
日々大変なことはもちろんありますが、とにかく欲しく欲しくてできた子・・・多少大変なことがあってもそう大変と思わない自分がいます。むしろかわいがりすぎには注意しなきゃ・・と思う日々です。
9月から日系の幼稚園に通っています。最初慣れるまではよく泣く毎日でしたが、今では張り切って行っています。園の先生たちも信頼できる方々ばかり。そんな環境に恵まれ私も気持ちよく外で働くことができています。
今年のお豆はもっとお友だちと関わりがでてきたりするでしょう。強く優しく楽しく、今後も引き続き元気に大きく育ってもらいたいな〜と思います。来年の今頃はオムツがとれてるでしょうか・・・。おはしが持てるようになってるでしょうか・・・。もっといろいろ言葉を話すようになってるのでしょうか・・・。いろいろ成長が楽しみです。
親としては「かわいがる」と「甘やかす」の違いが難しいと感じるこの頃。こういうことも学びながら、愛情をもって「しつけ」ができるようになりたいと思います。
3点目。私のキャリアについて
去年最初に掲げていた目標の「OstomyとContinenceのライセンスをとること」が夏にかないました。
ここ最近は外来のOstomy患者さんを診させてもらう機会も増えてきています。オストミーはある意味Woundよりもマニアック。そしてWoundはドクターたちと一緒に働くけどオストミーはドクターがナースに依頼してくるケースがほとんど。
まだまだ一人では解決できず同僚とディスカッションしながらすすめるケースもあるけど、そういう経験をとおして知識を増やしていきたいと思います。
患者さんに「私に会えてよかった〜」と思ってもらえるようなアドバイス・ケアができるようがんばります!
あとContinence、失禁ケアもせっかくとったライセンス。そして絶対隠れ需要があると思うので、これに関してはまず今年はボランティア活動からしていこうかな・・・と思っています。そしていろいろ今後につながる模索ができればと思っています。
さてどんな1年になるでしょうか・・・。
年々1年の月日を短く感じるこのごろ、新たな挑戦・出会いのある充実した年になりますように・・・。
そして何より家族全員健康でいられますように・・・。
■ 2009/11/19 (Thu) 面接 自分が受けたほうではなく、面接したほうの話し。
うちのクリニックにいた若いほうのLVNが消えた。いや、他の仕事をはじめる、学校に行くといって徐々に働く日にちを減らしたり、来なかったりしはじめて、ついに来なくなった。
うちのマネージャーもきついときはきついんだけど、心の底はとっても優しい人で(こっちから切ればいいのに・・)って私なんて思ってたけど、それができなかったみたい。
で、一人欠の状態でここ数ヶ月まわっているわけで、残っている私たちがなんだか大変な状態。
そして誰かを雇う雇うという話しからほんとに面接をする段階にいたるまで結構長くかかった。
今回ようやくそのパートタイムのLVNのポストをうめる人が現れた。
オンラインでの求人で相当たくさんの人から応募はあったようす。それでまずマネージャーが条件に満たない人を省いていく。
ブランニューはダメ。Woundに経験がある人でないとダメ。
これが最低の条件。
あとマネージャー的にレジメの書き方できちんとしている人かだらしない人かがわかるとのことで、いくらいい経歴でもだらしない感じが伝わってくる書き方をしている人ははじくとのことだった。
なんだかそれを聞いて(私なんて英語での表現が稚拙だし文法も間違うこと多々だし、そういうのはどうなの・・・?)なんて思った。なのでそれをマネージャーに聞いてみた。私みたいな外国人ナースなんてじゃあ不利ですよねぇ〜なんて・・・。
マネージャー、ちょっと苦笑いしながら「でも誠意とかやる気とかは文面から伝わってくるんじゃない・・。アメリカ人でも文法間違っている人はたくさんいるよ。。」との回答。
がんばってサポーティブなアンサーを出してくれた感じ・・・笑
ま、それはいいとして、実際に面接をしようとしぼったのは4人。が、1人は親の体調が悪くフィリピンに長期間で帰っちゃったということでタイミング的にダメになった。(これが男性だったようでマネージャーはとても興味あったみたいだけど・・・)
そしてあと3人。私も3人にあわせてもらった。マネージャーからは一般的な面接の質問事項とかNGワードとかをあらかじめ教えてもらい私も一緒に質問を投げていってということになっていた。
1人はすぐに省かれた。
彼女はメキシカンで英語もスパニッシュもしゃべれる。スパニッシュがしゃべれるのはとってもポイントが高い。
が、彼女が省かれた理由は「How much do you like wound care?」の質問に彼女は「comfortable」と答えたこと。
彼女が帰ったあとで「カンファタブルなレベルじゃこの仕事はできないよね〜」とのマネージャー、ベテランLVNの意見。
私は別にその回答に違和感なかったんだけどな・・・。
どういう答えを期待するの?って私が聞くと二人揃って「I LOVE WOUND CARE!!!」って言われた。
そう言われると(なるほど〜・・・)と思ったけど・・・。
そして絞られたのは2人。
その2人は初回の面接を含め合計3回の面接を受けることになった。
この2人が似すぎ・・・。
人種はアプリケーションフォームでは聞いちゃいけないNG。でも面接にきたらわかる。二人とも黒人だった。(名前や住んでるエリアからは大体想像はしていたけど。。)
AさんもBさんもWound careをそれぞれのエリアで経験していて相当Wound careにパッションを持っている。とってもやる気まんまんでいい感じ。経験を聞いてもいろいろ回答が出てくる。どんなWoundが今まででいちばんひどかった?だとか、どういうケアに困った?だとか・・・。面接っていうよりもこっちもこっちの話をしたりして楽しい情報交換タイムみたいになったりした。Woundの好き度は二人とも五分五分。
2人ともとっても明るくてナイスな感じだった。あえて少しの違いをあげるとAさんはBさんよりより経験がある。でもBさんよりはちょっとおとなしい感じ。BさんはAさんよりちょっと経験が少なめ。でもよく笑ってとてもフレンドリー。
ここでもほぼ五分五分。
ここからはオフィシャルに加味しちゃいけないけど重要ポイント。
Aさんは3人の子供がいて離婚している。大きい病院で働いて保険などのベネフィットをもらいたいといっている。
Bさんは独身で子供もいない。Aさんより多少若い。
さてどう考えるか・・・。
ある人は年上のほうをとったほうがいい。一般的に若い人のほうが離職率が高いから・・・と。
ある人は子供がいるといろいろ熱がでたやら学校の都合などで突然休むことが多くなるから独身のほうがいいんじゃないか・・と。
いろいろ考えはある。
ぐるぐる悩んだ。いっぱいマネージャーとLVNの姉ちゃんと3人で話し合った。
そして私は答えを出した。49対51で私はBさんに一票。なぜならAさんとよりもBさんと一緒に働くところを想像しやすかったから。。。
LVNのおねえちゃんも答えを出した。私と全く一緒だった。
柔道でいうと最後「判定」にもつれこんで副審2人がBに旗を揚げて主審の判定を待っている状態。
マネージャーは最後の最後までAさんの経験を重視していた。しかしマネージャーもHRの人たちと話をして、経験はこれからついていくことだけどパーソナリティーは変わらない。つまりフィーリングのいい方を選んだほうがいい・・と。
「メインで新しい人と働くのは私やLVNのお姉ちゃん」と、マネージャーは私たちの答えをくんでくれた。
そして結論を出した。
主審の旗もBさんにあがった。
Bさんにオファーが今頃いっているはず。
さてどうなるかな・・・。
■ 2009/11/15 (Sun) ここ1ヶ月 というタイトルにしてここ1ヶ月をダイジェスト。
お豆くん、2歳になりました。
今年も去年と同様楽しいバースデー会をたくさんの人にきてもらって作ることができました。
去年に続いてのピニャータ、楽しかった〜。
また来年もやりたいな〜。
そしてハロウィン。
今年のお豆はピーターパンになりました。
保育所でもパレード的なことをしてくれました。
ハロウィンの夜はトリックorトリートでお友だちのおうちに近くをうろうろしてたくさんキャンディーをもらいました。
2歳児にはまだ早いかな〜・・と思ったけど、キャンディーもらいにまわるのは2歳にとって、とっても楽しかったようです。
来年はもっと楽しむんだろうな〜。。。
私は職場でH1N1ワクチンをうち、お豆くんも意外とすんなり鼻からのH1N1生ワクチンをうたせてもらえた。
こっちでもかなり戦々恐々として順番待ちという状況。日本のニュースを見ていてもそんな感じですね。
身近にも職場で新型にかかった人がいる。
そう他人事でもない様子。。。
インフルエンザは今のところうちは大丈夫だけど、ここのところお豆くん、医者づいている。
ある日、夜から夜中にかけての大量嘔吐と腹痛。
今ふりかえれば何かにあたったのかな〜?それとも遊びすぎの興奮しすぎで疲れた?
水も飲めなくなったのでERに連れて行くことになりました。
初ERデビューとなりました。。
一錠吐き気止めをもらってから復活。
結局原因ははっきりしないまま。でも元気になっています。
私から感染?
私の腕に小さいStaph infectionのポチッができた。お豆のお腹にもポチッ。最初は気にとめてなかったが、私のもお豆のも大きくなりお豆のはひどくってあか〜く硬結した部分が大きくなりその周囲も炎症反応。
痛い、痛いというし、排膿すると相当量の膿みがでてきた。
熱もでたし、完全に感染症。かわいそうに・・・。
ドクターのところで内服の抗生剤もらって今はもう落ち着いております。(私もともに・・・)
日常的に私がMRSAとかと接しているからね〜。何をもらってきてもおかしくないもんね・・・。
がんばって免疫、つけていきましょう!
だんなの職場が変わった。
家から近い職場になって私はほくほく。
だって今までは遠いところだったから何かで私の仕事が遅くなってもお豆をお迎えに行ったりする都合をつけてはもらえなかった。
これからも今まで通り、お豆を送るのはパパ、迎えに行くのは私・・・だけど、でもなんとなく近くにいる・・・というだけで大きな安心なのです。
ま、それだけじゃなくって、これからはもう少し自分のやりたいことができる場所のよう。それがいちばん大事よね。
わたくしの仕事は・・・。
マネージャーとも話し、院内を巡回するETナースになるか、このまま継続して外来でWound careナースとして働くか・・・。
私はこれを交互にしたかったんだけど、その交互をカバーするほかの人がいない。・・・というわけで今のところしばらくは今のポジションのまま外来で働きまっす。
今の職場、一緒に働く人たちみんな気持ちいいし、まだまだ学ぶこともたくさんあるのでそれはそれで全くもってOKです。
さてもうすぐサンクスギビング。
また今年も去年と同様お友だち家族と旅行に出かける予定です。
去年は3泊4日だったけど今年は1泊2日でこじんまりと・・・。
それが終わったらもうクリスマスモード一色になるね。
いや〜、毎日があっという間に過ぎていきます。。。
■ 2009/10/19 (Mon) 全然日記書けてません〜 最近たまに日記を書くことがあっても子供のことがメイン。ついつい子供のことは写真アップができたり匿名じゃなくてもいいmixiのほうに書いてしまう。
なのでこっちの日記がどんどん離れていってしまう・・・そんな現象です。
すべての試験が終わってひと段落したらこのウェブを多少アップデートしてきれいに整理しなおしたい・・と思っていたけど、時間ができたらできたでまた違うことに忙しくなったりしてなかなかウェブに手がつけられていない昨今です。。。
うちの子はこの週末で2歳。
早いもんだ〜。
9月からはアメリカにある日系の幼稚園+デイケア(たぶん日本でいう保育園)に入れている。18ヶ月から預かってくれる。うちの子はいちばん小さい子のクラス。
初めは泣いて泣いて泣いて、行きたくなくって、親から捨てられるかのように送りに行ったときは離れたくなくって、お迎えに行ったときは久しぶりに会えたとばかり泣いてしがみついてきて・・・そんな状態だった。
が、子供の適応能力とはすごいもので徐々に慣れてきて今ではすっかり「ばいば〜い」と手を振って親から離れて喜んでクラスに入っていくようになった。
幼稚園ではデイケアと違いいろんなアクティビティーがあって楽しそう。何より同じ月齢の子たちがたくさんいるから刺激も多いだろうしね。
仕事のほうは相変わらずWound Centerで外来ナースやってます。そしてこの頃はオストミーの患者さんもたまに診ています。が、オストミーって単純なのはとっても単純だけど、複雑なのは超複雑。
自分でケアしきれなくって外来に相談にくる患者さんはとってもいろんな症状をかかえている。
まだまだ勉強だ〜。
Woundの患者さんも相変わらず奇妙で面白い人たちが多い。なんでだろう。。
太い人が多い。400パウンドって200キロくらいかな。。それ級の人がそんなにめずらしくない。うちの診療台もそれに耐えれるようになっているが400パウンド級が載ると多少きしむ。
ちょっとドキドキしながら患者を上げたり下げたりすることになる。
こないだはタミータック(お腹のお肉をとる美容形成術)をメキシコのティワナでしてきたという女性がその後の問題をかかえてやってきた。
ティワナはカリフォルニア南端サンディエゴのすぐ南。値段が安いという理由でたくさんの人が国をまたいでティワナへ行き美容形成術を受けてくるという話を聞く。
が、うちに来る患者さんでタミータックをしてトラブっている人はたいていティワナでやってきた人たちだ。
この人もひどかった。
お腹を360度切り裂いて25パウンドのお肉を取り出したと。これはかなりの重さのお肉になるが、その後の縫い方がなんとも粗末な縫い合わせかただった。
お尻の分け目の上のあたりで「ひだ」ができた縫いあわせ方。切り裂いた上の部分と下の部分の皮膚の長さがあわなかったからか、帳尻あわせるのになんだか最後くちゅくちゅっとしわ寄せした、そんな感じにも見える。
もちろんそこから血流の遮断がおき、皮膚がくさってWoundになり・・・という話だ。
あ〜あ。
簡単にいうと、「安かろう、悪かろう」・・・そういう話だ。
・・・とはいえ、こういうのも聞く。
ビバリーヒルズは形成外科のドクターたちが多いが、そこも気をつけないとあまり腕がよくないのに法外な値段をとるところも多いと。なぜならドクターズオフィスの賃料が高いから・・・だそうな。
ともかくいろいろ形成術がポピュラーになってきているが、そこに落とし穴もあるっていうこと。
失敗例はたぶんごくごく少数なんだろうけど、私なんて働いている場所がら成功例より失敗例をよく見るから、なんだかこういうのはどうなのかな〜と思ってしまうのです。
■ 2009/09/07 (Mon) おばあちゃんのお葬式 ここの日記でも過去に出したことのあるうちのキャラクターおばあちゃん95歳。ついに先日亡くなってしまった。
とてもしっかりもので孫の私が言うのもなんだが大変「やんちゃ」なおばあちゃんだった。その昔は嫁姑戦争でうちが大変な時代もあった。
ま、うちの母親泣かせのおばあちゃんではあったが私とはどういうわけか昔から意気があうおばあちゃんだった。
80歳代後半から次第に足腰が弱くなっていきいわゆる普通の年寄りになってしまっていた。だが口だけは達者だった。
よく国際電話で私に電話をかけてきてくれていた。
しかし最近声を聞かないな・・とこちらからおばあちゃんに電話をかけたのがつい亡くなる1週間ほど前。そのときはいつもどおりの感じがしたのにな・・。
ちょうど失禁の試験の頃だったのでそれにちなんで「おばあちゃんオムツ使ってる?」なんて質問をした私。「まだまだそっちはよく閉まってます。」と。同じ「使っていない」という回答でもつい笑いを誘うような言い方をするいつものおばあちゃんだった。
その直後に「クモ膜下出血」で倒れ運ばれた。もうダメか・・・と親戚から連絡があり「ついに・・」と思った矢先、どっこい息を吹き返ししゃべったり食べたり車椅子移動したりするまで回復。
驚異の95歳!!とうちでは話していた。
だがそのときにもぐもぐ口に食べ物を詰め込みすぎてどうやら誤嚥性肺炎を起こしたらしく高熱が出てそこから意識が遠のいてしまった。そしてそのまま帰らぬ人になってしまったのが8月29日の夕方だった。
こちらでは真夜中のことだった。
逐一母親が状況をアップデートさせてくれていたのである段階からはある程度腹をくくっていた。
起きて荷作りを始め夜が明けてすぐに日本行きのチケットをとった。
そしてすぐに日本に飛んだ。
そのときできる最善・最短の時間で段取りしたつもりだがこういうときは「日本遠し。。。」と痛感。
空港に到着しタクシーでかけつけることができたのがお通夜の式の後だった。
おばあちゃんの祭壇はとてもゴージャスでいい感じだった。
いい顔した写真もあった。私がe-mailで一番いい笑顔のおばあちゃんの写真を姉に添付しておいたのが使われていた。
そして祭壇の横の控え室には親戚一同が集まりにぎやかな感じだった。
最近いとこに赤ちゃんができたところでお豆は小さいほうから数えて2番目。おばあちゃんにとっては全員で8人のひ孫。
大きいのは小学生やら幼稚園児。みんながわいわいにぎやかだった。
翌日お葬儀。
家族葬という、外から人を呼ばないうちうちだけのものにした。
95歳で大往生のおばあちゃん。
不謹慎かもしれないがとにかく明るく笑うのが好きだったおばあちゃんらしい楽しく明るい式となった。
葬儀屋さんが式の司会進行などもしてくれる。
故人様の思い出・・ということでこちらから前もって与えておいたエピソードから上手におばあちゃんの人生を紹介される。
そこに「魚よりはお肉、赤身より脂身がお好きだった故人様・・・」などとの紹介まで入る。
確かに事実。
だがこんな場で紹介されることではない。
一同笑いを抑えるのに大変。悲しげなお葬儀用ミュージックと司会者さんが葬儀にあうような悲しい声色で話せば話すほどその雰囲気と内容のギャップで笑いが抑えられない。
笑ってはいけないシリーズだと私はお尻を竹刀で叩かれていただろう。
私以外のみんなも肩が揺れてけど・・・。
「お迎えが来まへん、来まへん・・・」と口癖のように言ってたおばあちゃん。
寝込むこともなく痛みもなく望んでいた通りの「ぽっくり」で逝くことができた。
95年の人生悔いなし!だろうと思う。
そういうのもあって、終始親戚中みんなにこやかでほんとにいいお式だった。
食べるのが好きで食い意地が張っていたおばあちゃん。誤嚥性肺炎が直接の死因だなんておばあちゃんらしくっていい。きっと本人もこれが本望に違いない。
おばあちゃんのおいていた孫からの手紙も棺の中へいれる。みんなが開いてみてみると9割は私からの手紙だった。そしてそんなみんなの前で私が高校時代に相当おばあちゃんからお金を借りていた事実が発覚。いとこから責められる。
また「お母さんには内緒やで」という内容の手紙までこんな形でばれてしまったり・・・。
ま、すべて時効ですがね。
ま、そんなこんなの珍事件もありぃので和気あいあいと宴会のような形で葬儀が終わった。
そして昨日こちらの6日にロスへ戻ってきた。
お豆も私のおいっこ、めいっこ、母親たちとたくさん遊んでもらい刺激の多いいい時間を過ごせたと思う。
■ 2009/08/27 (Thu) こんな誕生日 昨日水曜は比較的落ち着いた日だったのでランチタイムに私の合格祝いと誕生祝いをかねて職場のマネージャーと同僚が外に連れ出してくれた。
場所はフォレストガンプにも出てきたBubba Gump。ビーチの近くでとっても気持ちよく(ってか、昨日はかなり暑かったが)外のテラスでエビ三昧を食すことになった。
マネージャーがオーダーするときにウェイトレスに「彼女がバースデーガールだ」と言ったもので、食べてる後半に店の人たちがたくさん集まってきてくれた。
たいていアメリカのレストランではお誕生日のお客さんに何らかのサービスがある。甘いデザートが無料とか、歌を歌ってくれるとか・・・。
当然私はハッピーバースデーソングを歌いに来てくれたと思った。
が、「はい立って!」とウェイトレスに誘導され他のお客さんも居る前で踊らされることに・・・。
みんなが手拍子で腰ふれどこふれと言ってくる。照れくさくていやだ〜とは思ってみたものの逃げも隠れもできない状況。
しょうがないな〜。。。とりあえず乗ることにした。
同僚が普段みない私を見たかのようにうれしそうだったのでちょっと調子に乗ってみたのもある。
このあと甘いサンデーもサービスでくれたが、こんなバースデーサービスは始めてだ。
なんだか罰ゲームのようだった。
そして今日はお休み。
お豆をデイケアに預けていろいろやることをお昼間していた。
夕方珍しくデイケアから電話があり「お豆が吐いた」とのこと。別に早急に迎えにきて・・という感じではなかったが時間があったのでちょっと早めに迎えに行くことにした。
迎えに行くといつもどおり元気だった。帰りに最近よく行く公園でひと遊びして家に帰ってきた。
夜はだんなと3人で高級レストランへバースデーディナーへ行く予定だった。
さてと、出かけましょう・・・とお豆を着替えさせようと体を触ったらなんだか熱い。
熱をはかると102.2度もでていた。
ぐったり・・・っていう感じではなかったがそういえばいつもよりはパワーがないな・・とは思っていた。でもただ眠いだけかと思っていたんだけど。。。
・・・ということで急遽そのレストラン行きは中止。
そしてだんなにto goのお寿司を買ってきてもらっておうちでお祝いすることにした。
期待していなかったお寿司がわりとおいしくって驚き。
そしてプレゼントとか手際よく準備するのが苦手なだんなががんばってサプライズギフトを準備していてくれた。
くれたものもうれしいがその準備過程を想像するのがなんともうれしいものだ。
こんな感じが38回目の誕生日でした。
母親も電話で驚いていたが私自身もびっくりの年齢に。。。。
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