APC Fitting Room

"Before you keep from what you put away, wear it again."
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■ 2005/07/11 (Mon)  高い水面

山の上の湖みたいな
高い水面に波紋が広がっていく。

約束を交わしたことを思い出すとき、
古い友達の眼差しに見つめられるとき、
僕は高い水面をイメージする。

それは例えばボリビアの湖であり、
それは例えばイグアスの滝である。

僕の頭の遥か上に、
巨大な水面が存在するということを思い描くとき、
僕はなぜかしら静謐な気持ちになって、
人々の幸福を願ったりする。
馬鹿みたいに。

個人的な感情は、静謐なトンネルを抜けて、
世界を思う気持ちにつながっていく。
何もみてないし、誰もしらないけど、
心のなかに透明な波紋が広がる瞬間がある。

■ 2005/06/12 (Sun)  死を柔らかく煮込む6つの短編集プロトタイプその1

「ポトフ」

日曜日の午後に、ワンルームの部屋の狭いキッチンで
彼女はポトフをつくっている。
エプロンもせず、ギンガムチェックのシャツに、ジーンズといういでたちで、大きなレシピの本を右手に広げている。
電気式のコンロの上では、小さな鍋にいれたポトフがくつくつと心地良い音を立てている。
スープの表面には細やかな泡が、生まれては消えていく。
彼女はときどきレードルで灰汁をすくい、味見を繰り返す。
何度も何度も。


2ヶ月前の日曜日、同じような暖かい日差しのなかで、
彼女の恋人は亡くなった。
それはまだ4月のことで、世の中は新しい始まりの意識が満ちていた。彼女の働いていた会社にも初々しい新入社員がはいってきたし、
恋人も前からほしがっていたバイクを買った。
桜さえ満開だった。
いつものように、彼女の部屋で一緒の時間を過ごしたあと、
恋人は自慢のバイクに乗って帰っていった。
仕事帰りに会うときのスーツ姿ではなく、ヘルメットをかぶり革のジャンパーを着て、黒いBMWのバイクにまたがる彼の姿はまるで別人に見えた。
エンジンをかけて彼は手を振った。ヘルメットの奥で顔は見えなかった。
でも彼女は笑いながら手を振り返した。

その帰り道に彼は事故に遭った。
閑静な住宅街の十字路で、突然飛び出してきたカローラを
避けようとして、ブロック塀に突っ込んだ。
アスファルトに放り出された彼の体を、
運が悪いことにアヒルのマークをつけた引越し屋のトラックが跳ね飛ばした。
幼い子供が交わした約束のように、それらの出来事はある種の誠実さをもって行われたかのように思えた。
住宅街の一角に、静物画のように、カローラと引越し屋のトラックと崩れたブロック塀と横転したBMWのバイクと不自然に折れ曲がった彼の体があった。
ブロック塀の向こう側では桜さえ咲いていた。
桜の樹の下で、彼女の恋人は彼女の恋人の死体になった。
ピンク色の花びらが散り落ちて、彼の体を伝染病のような斑点で飾り付けた。

彼女が事故のことを知ったのは、それが起こってから4日も後のことだった。
彼の葬儀に参列していた共通の友人からの電話で、それを知った。彼女が式に出ていないのを訝しがってかけてきたのだった。
彼女が彼に会いに行ったとき彼はすでに小さな白い壷に入って桐の箱のなかにしまわれていた。
彼女は会社に長い休みを申請し、そしてそのまま辞めてしまった。

会社を辞めてから彼女は料理をよく作るようになった。
はじめは貯金を切り崩していく生活を心配した、節約のための自炊だったが、段々と料理そのものにのめりこむようになっていった。
彼女は本屋に行ってレシピブックを買い、そこに乗っている料理を順番につくっていった。
本に書いてあることを忠実に再現した彼女の料理は、
彼女自身も満足くらい美味しくできあがっていった。
料理を作っている間は、これからの生活のことも、
失われた恋人のことも、忘れることができた。
ポトフは彼女のレシピブックの最後に載っていた料理だった。彼女はいつもどおりレシピ通り忠実にそれをつくっていった。

彼女が、鍋の中で生まれては消える小さな泡を見つめているとき、誰かが玄関のドアをノックした。
彼女は最初それに気がつかなかったが、二度目のノックでドアの方を向いた。
新聞の勧誘員や訪問販売にしては妙だった。そういった人間なら普通は備え付けのインターフォンを鳴らすはずだからだ。
ドアをノックするのは、彼女が知っている中で一人だけだった。
その事実が、彼女の手を警戒心よりも先に動かしドアを開けさせた。
ドアの向こうには彼女の恋人がたっていた。
■ 2005/04/16 (Sat)  モノ クロノ クノニクル

春の光が、日焼けしたカーテンを押しのけて入ってくる。
自らの輝きを誇るように、春の光は真っ白な病室の壁を。
四方の壁を幾度も幾度も乱反射し、やがて。
ベッドの上で上半身を起こした僕の小さな瞳の光彩のなかに飛び込んでくる。

その強烈な光の波長に眼底が鈍く疼く。
脈打つ心臓のリズムと同期して。ズキン、ズキンと。
その無視質な直方体の真っ白な部屋は、入ってきた光をアンプのように増幅し、
そのエネルギーの全てを僕の瞳に注ぎ込んでいるのだ。
僕はまぶたをわずかに閉じ、眉間に皺を寄せ、一人の不可思議な少年を見る。
いつの間にか僕の目の前に立っていた。一人の不可思議な少年の姿を。
少年はチェックの入った大きな緑色のストールと、これまた大きなつばのある帽子を被って、僕の前に立っていた。
その姿はまるで、スコットランドかアイルランドの祝祭でダンスを踊る子供のようだ。

春にしては暑すぎる今日の気温のせいと、今のこの理解不可能な状況のせいで僕の喉はカサカサに渇いている。
無理をして、唾をのむ。全く音を立てずに喉だけが動く。
僕はいま何をどうすればいいのだろう。
少年は僕の困惑を察知したかのように口を開く。わずかに微笑を浮かべながら。
(でもその微笑みは動くはずのない彫像が浮かべた微笑のように、どこか固く不自然だ。)
そして追い討ちをかける様な言葉を口にする。

「君は命を失った。」



「つまりは死んだってことだよ。」
「君にはよく理解できないことかも知れないけど落ち着いて聞いてほしい。」
「これから話すことは大事なことなんだよ。すごくね。」
「君にとっても。僕にとっても。そして世界の法則ってやつにとっても。とってもとっても大事なんだ。」
「いいかい?分かったら何か返事をおくれよ?」

矢継ぎ早にまくし立てる、少年の言葉に僕は何の反応も示すことはできない。その少年の存在と言葉を僕はうまく認識することができない。
これは、春の暖かさが見せる白昼夢なんじゃないだろうか。僕は僕の中でもっとも現実的な答えを見つけようとする。

「聞いてる?僕のことはみえてるよね?」
「見えないなら見えないでそれは問題なんだ。」
「しっかりしろよ。寝ぼけてる場合じゃないんだぜ?」
「本当に大事なことなんだよ。」

少年はさらに早口になって僕をまくし立てる。
早口というよりも、僕には少年の声がいくつも重なって聞こえているように思える。まるで何人もの声がサラウンドになって僕を取り囲んでいるように。

「じゃあ、単刀直入に用件だけ。言わせてもらうよ?」

「君は命を失った。つまりは死んだ。オッケイ?」
「君はこれから旅に出なければいけない。」
「のんびりした修学旅行みたいなものを想像なんてするなよ。これはね。真剣なんだ。」
「そして君は重大な仕事をしてこなきゃいけない。」

少年は僕の瞳を突き刺すようにまっすぐに見つめる。
僕は、僕よりも何歳か年下のように見えるその少年の目線をそらすことはできない。
僕は僕で、少年の真剣な態度と何がしかの本能をもって、
彼の声に耳を傾けなければならないことが分かっていたからだ。

「今から君は旅にでなきゃいけない。」
「君の記憶をたどる、大きな旅だ。」
「長い旅ともいえるし、それほどでもないともいえる。」
「時間の尺度はその旅のなかでは適用されないからね。」
「ただし、大きな旅だ。君にとっても、世界の法則ってやつにとっても。」

太陽が薄い雲の中に入り、病室のなかで乱反射していた光が落ち着きを取り戻す。僕は鼻から息を吸い込み、乾いた喉を使って声を絞り出す。
「言ってることが・・・よく分からないんだけどさ。正直、僕は何をどうすればいいんだい?」
この、なんにも把握できない状況のなかで、素直に浮かんだ疑問だった。それを聞いて少年は満足したように唇の両端を引きつるくらいにきゅうっとあげる。笑っているということなんだろう。

「聞こえているんだね。」
「すっごく安心したよ。また失敗を犯したのかと思った。」

僅かな沈黙が流れる、意味のある沈黙だ。空白ではない。オーケストラが紡ぎだす「溜め」のような沈黙だ。

「君は旅にでなければならない。君の記憶を辿る大きな旅だ。
そして君は、ごちゃごちゃになった記憶のピースをひとつひとつ点検し、
並べなおし、バグを見つけて修正してこなきゃならない。」
「そして完成させるんだ。生まれてから死ぬまでの君の記憶の年代記を。」

「ひとつの傷もない。完全な、美しい、一本の。」
「モノ クロノ クロニクル(単一時間軸の年代記)をね。」

「そうすれば、君は安らかに死ぬことができる。」

少年は笑いかけた。
カーテンの隙間から入り込む光の量が、僅かにまた増えた。
■ 2005/04/16 (Sat)  季節

離ればなれになる。
出会うべき人とのめぐり合わせが、何かの都合で遅れていく。
それは、生きる意志を持った人間達にとって、最も不幸な出来事のひとつだ。

呼吸を繰り返すように、出会いを繰り返すことで、
僕らは命を少しずつ入れ替えて生き永らえている。

それはきっと確かなことだ。

人は距離を感じることができる。
物理的な距離だけじゃない。
時間的な、精神的な、運命的な。
様々な種類のものさしをもって。
人は人との距離を測っている。
あるいは保っている。埋めようとしている。見て見ぬふりをしている。

ただ、そういった距離を感じるとき、
僕は同時に世界の広さを感じる。
孤独と同時に自由と希望を感じる。
僕のなかで、
「人との距離は、世界の広がりと奇妙なリンクを形成している」

愛すべき人たちとの距離が、時に僕に誠実な力を与えてくれる。
不可思議で、そして。
子供の頃に交わした約束のような、親密さに包まれた使命感をもって。
■ 2005/01/23 (Sun)  バージニアの夜明け カリフォルニアの夕焼け

とてもうまくコトが運べば。
僕の人生はバージニアの夜明けのように始まり、
カリフォルニアの夕焼けのように終えることができるだろう。

新しい大陸の砂浜で夜明けを見た、昔々の船乗りたちの希望。
町の祝祭が終わったあとの、心地よい疲労感と満足感。
その二つに挟まれた人生ならば、
間にあるどんな寂しさや罪悪感もちゃらにしてしまえる気がするのだ。
自分勝手な妄想だけど。
命がけで願うのだ。
命がけで願うということは、
命がけで願いをかなえる方法を考え、
そして実際に行動を起こすということだ。


午前4時の夜明け前には。
こうやって自我の散歩の時間が始まる。
日々成長する子供の体みたいに、
自分の身につけているものが段々と窮屈になってくる。
それはわがままとか、
自己満足とかのレベルを超えるものではないかも知れない。
でも、手紙をだすことをやめたら返事はこない。
返事を待っている自分の弱さを確認できない。

真夜中は夕暮れと夜明けの間だから、
こうやって過ごすのも悪くはないのかも知れない。

バージニアの夜明け。カリフォルニアの夕焼け。
それに挟まれた時間は、
昼なのか夜なのか。


■ 2004/10/21 (Thu)  漁師の町

漁師の町。
その年の海はあまりも不漁で、
マグロがツナ缶になったような寂しさだった。

男たちは灰色の海に向かって次々に船を漕ぎ出していったけど、
誰も何も手に入れることはできなかった。
不安にかられた男たちは、みな競い合うように魚を求めて
遠くの海へ、遠くの海へと出かけるようになった。

ある日。一艘の船が帰ってこなかった。
漁師たちは仲間の死を悼み、町は弔いの花で溢れた。
でも、そんな悲劇の後でさえ、
海は変わらず、一切の生命をどこかに置き忘れてきたかのように不毛だった。
男たちは家族のためにさらに遠くの海を目指した。
そしてまた一艘の船が帰ってこなかった。
町は再び花で溢れた。

海は英雄が独裁者に変貌したかのような無慈悲さで、
町にいっさいの恵みを与えることと辞めてしまった。
船はもっともっと遠くを目指した。
また何艘かの船が戻ってこなかった。
町に花が溢れた。
誰もが遠くを目指した。
何人かはやはり帰ってこなかった。
町にはもう摘む花もなくなってしまった。

港に並んでいた多くの船は、
一艘また一艘とくしの歯が抜けるようにいなくなり。
やがて桟橋しか残らなくなった。

漁師の町は死んだのか。
それとも、いなくなっていた船は
本当は町の人々が想像もできないくらいの大航海をしていて
ある突然、大漁の魚を船いっぱいに積んで帰ってくるのだろうか。

それは誰にも分らない。

ただ一つ言えるのは、どのみち町の葬式屋だけは
裕福な暮らしをしているということだけだ。


■ 2004/10/21 (Thu)  無題

秋の夜の匂いを嗅ぐと、
自分が広がりのある世界の中で生きているということを思い出す。

あの黒い空の向こう側には、ちゃんと向こう側があるってことだ。うん。

大事なことを忘れたときに、うまい言い訳の仕方を思いついた。
たとえば恋人の誕生日を忘れたときとかに使いたい。

「人は大事なことを忘れてしまう。
でも、忘れていた大事なことを思い出すことで、
人はまた新しく生きる喜びを知るんだよ。」

これは使える。

秋の夜風と恋人への言い訳。
そんなことばかり考えている秋の夜なのでした。


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