Green21の『中国日記』
北京・天津の街角のこぼれ話を書いています。
■ 2004/11/21 (Sun) ちょっと空いた時間に書きました 生活環境が変わって既に二ヶ月が過ぎたが、長年の習慣からの切り替えが難しい。この日記とマガジンを書く時間がどうしても作り出せないのです。新聞やテレビを見る時間などどこにもありません。
朝9時の出勤ですが、8時半には出勤をするように心がけ、10時の朝礼で店が始まり、2時から5時の休憩が入るものの殆どが休憩無しの勤務となり、5時のミーティングから夜の営業が始まり、10時の閉店まで店が開いているために、事務所での待機となってしまいます。この5時間の間に、想像もつかない事件が起こり、その問題処理に駆り出されてしまいます。
本来ならば巷の様子を日記に書かなければならないのでしょうが、通勤以外は外にも出ない状態なので巷の様子など知る由もありません。日増しに寒さが深まって来ています。防寒コート姿はまだ見られませんが、老百姓はかなりの厚着になっています。
店では鍋物が良く出るようになって来ましたので、それが寒さの証拠なのでしょう。
たまに休みが取れると、それを待っていたかのように、S社長の会社に呼び出されて、溜まった仕事の手伝いが待っています。先日も(19日)董事長、営業担当者、S社長と私の4人で、北京の顧客を訪問し、トラブッテいる問題解決に出かけてきました。
このS社長とは、公の関係が切れても、私の関係が続いています。主に電話での通訳、交換手の役目をすることもあります。
■ 2004/11/10 (Wed) 暖房が入りました 例年だと15日に暖房が入る予定なのが、昨夜帰宅してみると既に室内が暖かく感じたので、暖房機に手を触れてみると微かな温かさがありました。どうやら今年の冬は早く来たようです。一昨日に壊れてしまった電気毛布と、入れ替わるように暖房が入ったのです。
こうなると、早急に冬物と衣替えをしなければなりませんね。
毎年冬になると、地元のスタッフと暖房の事でトラブルことがあります。私は冬でも薄着を保っていて、室内温度を上げて快適な温度の仲で仕事をするわけですが、彼らは、何枚も重ね着をしている為に、部屋にいると熱くてしょうがないらしく、無断で暖房機のスイッチを切ります。その後から、私も無言でスイッチを入れるのですが、私が席を離れると暖房のスイッチが切られています。設定温度を低くすればいいものを、それをしないで、手動で室内温度を調整してしまいます。
さて、今度の新しい職場のスタッフは如何なものでしょう!
■ 2004/11/06 (Sat) しばらくです! 日本への出張から帰って来て今日で何日になるのだろうか?仕事が余りにも忙しい。この間に街路樹も黄色くなり、そして既に落ち葉となってしまい、裸になってしまったイチョウなども有ります。
先週から日中の気温も13〜15℃、夜間には、5℃前後に下がるようになっています。今月の15日までは暖房も入りませんので、室内は真冬よりも寒い時期となっています。早くベッドに潜り込むか、重ね着をして寒さに耐えるしか有りません。
引越しをして来て一ヶ月が過ぎましたが、引越しの荷物も荷解きもしないで、そのままになった物もあるくらい時間が有りません。それに加えて、マンションの電話が今月から使えなくなってしまいました。ダイヤルをすると、「電話料金をお支払になってからお掛け直しください!」と言うメッセージ、電話局に支払に行く時間が無いのと使用中の電話の番号を知らない為に支払が出来ません。
当然、自宅でインターネットも出来ません。今日はこのような悪条件下で、会社のラインを使っての発信です。
一昨日から北京に飲食業種の市場調査に出かけていました。出来るだけ多くの話題の店を歩く為に、夕食は五時半頃から始めて2軒をはしごで回り、その後は、飲み屋のはしごを三軒深夜にホテルに戻ると、もうそのままパッタンキュウです。それでも翌日は、食器の見本の買い漁りで、重いダンボール箱を提げて天津に帰って来ました。
■ 2004/10/25 (Mon) 昨夜天津に帰って来ました。 10月21日(木)青島から到着した関西空港は始めて降りたった空港である。リムジンバスで、燕京号の出発地点である三宮に直行する途中、通過するポートターミナルには、翌朝乗船する筈の燕京号の姿が見当たらない。台風の影響で遅れは予想していたものの、予定では金曜日に出発するべき本線が見当たらない。
船会社に電話を入れても留守番電話で、『本日の営業時間は終了いたしました...』のメッセージが流れるだけで確認の仕様がない。翌朝埠頭に行って見ると、疲れ果てた様子の燕京号が停泊していた。しかし、様子がおかしいので、ガードマンに聞いてみると先ほど着いたばかりで、乗客も未だ下船をしていないとのこと。
受付カウンターにも人影は無く、正規の受付時刻になってやっと4時間遅れの出航である事を知ったのです。これで日本での滞在時間が延ばされ、三宮のショッピング街で財布をはたいて、中国では手に入らないデジカメを一台とパソコン用の字体ソフトを購入。
昨夜遅くに天津に帰って来ました。船内では又新しい友達が出来ましたが、旧知の人との出会いもありました。28箱のダンボールに詰められた食器類は、神戸税関、天津税関共に大きなお叱りを受け、1箱50元の課税で済んだのですが、税関も財布が空っぽになっていたのと外貨は受け取れないと言う理由で、品物は先に持ち帰り、翌日税金を払うと言う気の利いた処置をしてくれました。本音は早く帰宅したかったのでしょう。
強行軍でしたが、天津に無事に帰って来ました。
■ 2004/10/20 (Wed) 行ってきます! 10月20日 天津→青島 青島泊
10月21日 青島→関空→神戸 神戸泊10時間
10月22日 神戸→燕京号→天津10月24日
これが今回の日本行きのスケジュールです。
連日の深夜までの仕事が続き、広告や宣伝は一切無く、昨日やっと仮オープンに漕ぎ着けた焼き肉と鉄板焼きの店は、順調なスタートを切り、3割引のサービスで今日は2500元の売上を上げていました。
これで安心をして日本へ出向く事が出来ます。でも、心配なのは昨夜あたりからぶり返した風邪です。どうやら流感のようで、周りの人たちも殆どが風邪を引いてしまいました。明日は飛行機の中で病原菌を撒き散らしそうです。では、行ってきます。
■ 2004/10/16 (Sat) 再度日本です 中国の連休が明け、日本人達もごっそりと帰って来ました。この日本人の帰りを首を長くして待っていたのが、夜のチョウたちです。日本に帰って家族や奥さんにサービスをして、中国に帰って来た戦士達は、この一週間、彼女達と同伴出勤の人たちの姿が多く見受けられました。
彼らにとって今日が、連休明けの最初の週末、四人掛けのテーブルの殆どが二人組みに占領されていました。9時までに出勤をしなければならないので、そそくさと食事を終え二人でタクシーに乗り込む姿が、羨ましく見えた今日でした。
我が社の社長は、前回の免税で味を染めたのか、来週も日本に行く事になってしまいました。今回は、以前の仕事が残っていて、青島経由で関空に入ります。神戸の宿に到着するのは夜の10時ごろになるのですが、その翌日8時には、チェックアウトをして神戸港に向かわなければなりません。日本滞在が10数時間と言う記録が作れそうです。
18日に、鉄板焼きの店を一見オープンする為に、毎日深夜まで仕事をしていますが、その疲れを持って出張に出なければならないようで、天津に帰ってきた時の疲労度は、殆ど限界にきていることでしょう。
このような訳で、日記も怠り気味になっています。悪しからず。
■ 2004/10/12 (Tue) 久し振りの『燕京号』 今回の一時帰国は、社用での出張であったが、如何しても船を利用しなければならなかったのは、日本で買い付けた食器類の運搬が伴ったからである。貿易の手続きを踏むと、とてつもない費用と時間が嵩み、中小企業には大きな負担となってしまうので、個人が日本で買い付けた物を搬入すると言う形で通関を済ます為でした。
15ケースに及ぶ、高級弁当に使う重箱とそれに付随した食器を中国に持ち込んだのですが、通関に備えて、船上から関係者にファックスや電話連絡で、天津入港の数時間前にやっと、交渉が成立し、無税で持ち込みが成立したのです。
直接天津港の税関にはコネが無かった私は、船会社の関係者と親しくなり、積み込み荷物の手続きと料金で便宜を図ってもらう事に成功はしたものの、船会社も中国側の税関までは手が届かない事が解り、天津に向かう船上で忙しい連絡業務が始まったのです。
先ず、荷物の積み込みでお世話になった担当者と彼の上司、事務手続きをしてくれた小姐への、法に触れないお礼です。税関関係は、上部機関の強力なコネを持つ私には、余り困難な事ではありませんでしたが、刻々と港に近づく船上から、電波事情の悪い船舶電話や携帯電話での連絡には、若干骨が折れましたが、税金ゼロの裁定で通関が出来たのです。
帰途の船上で、実質的には集団就職なのでしょうが、研修生と言う名目で、日本で3年間を過ごして帰国の途についている80名ばかりの集団に出会いました。当初は、日本へのグループ旅行者かと思っていたのですが、荷物が多過ぎる、服装が一般の中国人と異なる、日本への観光旅行が許されている地域の言葉(訛り)ではない等、不明な点が多く、不思議の思っていたのですが、同室の人がその疑問を解いてくれたのです。
彼らは福井県の中小企業組合の招きで日本に赴き、労働力のいなくなった田舎の中小企業を支えてくれた人達だったのです。三年間居た割りには日本語が上手になっていない原因は、どうやら、仕事仲間も中国人だったからのようです。
久し振りの『燕京号』での船旅で、数年前に出会った老橋の事を思い出していました。老橋さんも今ごろは、日本で庭の手入れでもさせられている事でしょう。
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