Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!




■ 2005/03/15 (Tue)  エレちゃんの遺言

原田知世・・・。

ぢゃなかった、

さらば友よ・・・。

馬鹿野郎!!

ぢゃなかった、

また会おう!!

オシッコしマシタ。

ぢゃねえよ、

お引越ししマシタ。

http://blog5.fc2.com/erect/
■ 2005/03/14 (Mon)  可能・昨日・苦悩

ああ、忙しい忙しい!!もう、大変大変!!

近々、この日記を下記アドレスに引越しイタシマス。
http://blog5.fc2.com/erect/

過去の日記も、そこで公開イタシマス。

さて、話変って・・・。

しかしなあ、そうは言うけど、若い頃は随分悩んだよ・・・。だから、早く見極めたかった。

こんな自分の生きる道、

そんな自分を“生かせる”道を。

理想で飯は喰えないが、理想のためには飯を喰わなきゃならん。

それって、ある意味、理想をオカズに飯を喰ってるとも言えないか?

欲望なら叶うかも知れないが、理想は叶わぬから理想なのだ。

だから、叶わぬからと言って、理想を捨てる事は無い。

そもそも、日記を公開するなんちゅう事自体、オカシイのよ。だからと言って、掲示板やチャットとも違う。これは、ある種の“作品”なのだ。

だから、イヤなら見なきゃ良いし、閉ぢる自由もある。

だけど、公開している以上、誰かに聞いて欲しいと言う、真っ当な欲求が無いはずが無い。

しかし、これはあくまでも“独り言”・・・。

記録では無く、日記である以上、自分なりの考え、すなわち独自の視点が貫かれていなければ意味が無い・・・と、私は思う。

日記なんだから、主観で良いのだ。主観で。インターネットと言うのは、音楽や絵画、小説の様に、“日記”と言う表現ジャンルを生み出した。日記と言うのは、従来ならば他人に読ませるものでは無かったはずだ。

“自分”を抜きに、客観的に語るなら、それは評論であろう。

誰かの代りに何かを言うのは、私の役目では無い。

「自分はこう思う」で良いのだ。否、そうでなけりゃあ、面白く無い。

ブログに移行しても、観客と対話するためのコメントは、受け付けない設定にする。

なぜなら、自分の知人しか楽しめない様な、身内向けの閉ざされた内容にはしたくないし、ここは、外で受けた影響を吐き出す場所であり、そもそも、私は、独りでやる創作活動が好きなのだ。

創作者とは、イコール、独裁者であるべきである。

誰かと一緒に居ると、私は自由になれないのだ。

ここで独裁者になるぶんには、誰にも迷惑かけてないだろ?
■ 2005/03/13 (Sun)  自由執念

昨日、当方経営の、エレクトレコード、中古レコード・CD販売ショップが、10周年を迎えマシタ。同業者の人から聞かされて、初めて気づいたよ。

いや〜、しかし、始めた頃は良かったな〜。景気も良かったし、今の様にCD復刻が盛んぢゃなかったから、まだアナログ離れ出来ない人も多かったしネ。

しかも、未曾有の不況&ネット・オークション全盛が、ダブル・パンチとなって襲いかかって来た。

いや、しかし良く頑張って来たよ。誰も誉めないから、自分で自分を誉めるとしよう。

そして、これまで、お買い上げ頂いた皆様、誠にありがとうゴザイマシタ。

とにかく、音楽自体、あるいは骨董品としてのアナログ盤が、三度の飯より好きな方々のお陰でありマス。

今後、店舗販売と言う形態を継続するかどうかは、時代の流れから見ても、非常に厳しいけど、やっぱ自分にはこれしか出来ない・・・って言うか、これしかしたくない。

やりたい事をして、金を稼ぐのが、一番好き。

好きな事をやるためなら、多少のいやな事もガマン出来る。

死んだら何も残りゃしないってのに、良くぞこの歳まで、虚無感を振り払い続けて生きてきたってもんだ。

寿命はあと10年だけで良いから、その10年間、眠らずに生きる事が出来たらどうだろう?

その10年は、20年分に値するのだろうか?

しかし、あたしゃ、深夜に働く運命なのかね〜・・・。

10周年って言ったって、別段何も変らない。

今日もまた、10年と1日目が始まるだけ・・・。

継続は、“血”から・・・なり。(^^)b
■ 2005/03/12 (Sat)  Mr.エレクトの進路指導室

自分の人生を決めつけてしまう事は、道を狭め、可能性を放棄する事だと言う、言い方がある。

しかし、本当の意味での可能性とは、例えば登山なら登山で、如何に困難な山を征服出来るか、スポーツならば如何に記録を伸ばせるか、商売ならばどれだけ儲けられるか・・・と、まずは道を選んだ上で、その道をどこまで極められるか?どれほどの高みに登れるか?と言った、未知なる結果に対しての、それを実現でき得るかどうかと言う、予知し得ない余地の事を指すのではないだろうか。

一つの道を選んでしまう事は、他にあるかも知れぬ幾多の可能性を殺す事。

本当にそうだろうか?

ぢゃあ、一体、いつ決めるんだ?

いつまでに、あるいは、どの時点で、それを決定する事がベストなのか?

3歳からピアニストを目指す子供も居れば、50歳にしてスキーを始める者も居る。

もったいない?

放っとけや!!他人の人生だ!!

助言に耳を貸す余裕は必要だとしても、自分の人生を決めるのは、最終的には自分自身。

駄目なら駄目で、自分で選んだ道なら、あきらめもつく。

自分で決める事が出来る事こそ、自由の証しであり、人間の特権であり、私にとっては至上の悦楽である。

舗装された安全な道を行く奴に限って、他人の人生にケチつけやがる。

予期せぬ事が起きるから、人生は面白いのだ。

たまに事故でも起きないと、“ただ、生きて”しまうんだよ!!
■ 2005/03/12 (Sat)  間違いだらけの医者選び

健康な医者と、病気の医者、どちらが良い?

感染する病気は、当然、困るとして・・・。

風邪を引いた事の無い医者は、風邪を引いた患者の状態を医学的には判断出来ようが、その患者の本当の苦しさを理解出来ようはずも無い。せめて、それに似た症状を思い出し、推測すると言った程度であろうか。

ましてや、精神の病いの場合、現実に実感する事は、ほぼ不可能である。

とは言え、現代は、色んな研究書や、本人の手記なども発表されているから、“知る”事くらいは出来る。だが、健康な精神、健康な気持ち、健康な状態のママ、こころに軋轢を加える事と、既にこころが疲労しきっている所に重しを乗せるのとでは、雲泥の差がある。

患者の病状を診断し、ただ、それを伝えたところで、知ったところでどうなると言うのだ?

登山の途中で遭難している人間に、「この道は違うから、あちらの道を行きなさい」と諭したところで、もう既に手遅れなのだ。

せめて、ここから転がり落ちぬ様にふんばり、寒さに震えながら、助けを待つしかないではないか。

道を間違えた事くらい解ってる。

やり直したい気持ちが、一片たりとも無い訳では無い。

しかし、この生き方を、実はそんなにキライぢゃ無い。この先に、いかなる地獄が待っているのか、ちょっと覗いてみたい気もする。

分析屋サンは、俺にどうしろと言うのだ?

人として正しい道を説いてくれているのか?

だとしたら、あんたの言いなりになってやっても良いぜ。

ただし、人生が2度あればの話だが・・・。
■ 2005/03/12 (Sat)  自由が欲しい

「自由が欲しい」と思う。

「自由に生きろ」と言われる。

しかし、どれほど自由な精神があろうとも、狭い部屋、短い時間では、発揮しようが無い。

まず、パンツを履き、靴下を履き、服を着て、身だしなみを整え、靴を履いて、やっと外に出る事が出来・・・た時にはタイム・オーバー。

ぢゃあ、素っ裸で外に出れば良いかと言うと、そんな訳には行かない・・・。

屋外も、結局は部屋の中と一緒であり、やはり制限がある。

また、どれほど遠くに行きたいと思っても、これまた限度がある。

自由な行動をしている人間には自由な精神があり、不自由そうに見える人間には自由な精神が無いのかと言うと、決してそんな事は無いのだ。

“自由”を行使するためには、自由な精神を発揮出来る“場”や“時”が、元からある、あるいは与えられている、恵まれた状況がなければならない。

それらが無い場合は、まず、その“場”と“時”を得なければ始まらない。

果たして、この俺に、自由な日々は訪れるのだろうか・・・?

だが、想像する事ならば、いくらでも出来る。だからこそ、こころの中の部屋、こころの中の時間は、無制限、無限大に自由でありたい。

・・・と、私は願う。

願いを持つ自由。・・・それぐらいは許してくれよ。
■ 2005/03/09 (Wed)  お金持ちの貯金箱

またひとつ、お金持ちの貯金箱が設置された。歳末助け合いの募金箱とは、その性質を全く異に、否、正反対の箱である。

その入り口は、地下室へとつながっており、連日連夜、そこにゾロゾロと、何も知らぬ人々が吸い込まれていくのだ。

その、カラオケボックスの如き、“宴の間”は、観客は元より、出演者、企画者が、日頃、額に汗して稼いだ、なけなしの金を絞り取る場所であり、人間の汗、涙、血、怒り、喜び、嘆き、苦悶、快楽、衝動、情熱、夢、希望、未来・・・、それらすべてを換金し、一滴残らず吸い取るためにのみ存在している。

音楽の善し悪しなど関係無し。ここでも、通用するのは貨幣、紙幣、マネーのみである。

出演者は、音楽をより良くする事よりも、毎日お金を稼ぐ事のみに一生懸命である。しかし、仕方無いのだ。人前で演奏するためには、音楽スタジオで練習するだけでも、お金が必要なのだから・・・。

それならば、いっその事、動員が無いバンドは出演させないと言われた方が、まだマシだ。動員を増やすための努力と言うのは、必ずしも音楽的な向上のみを必要とせず、宣伝活動等、音楽自体とは無関係な努力を求められるが、より多くの人に見せたいと考えるならば、それは当然の行為なのだから・・・。ただ、それのみ追い求め、音楽をおろそかにする事が、良く無いのだ。

お金持ちの貯金箱とは、すなわち、営利のみを追求するライヴハウスの事を指す。

昔は“小屋”と呼ばれていた様な気がするが、最近は“ハコ”と呼ぶ様になったのは、金のタマゴを生むニワトリ小屋が、間接的では無く、もっと直接的に、もっと露骨に、もっと手軽に集金出来る便利なシステムに変ってきたからだろうか?

毎日とは言わない。一ヶ月に一日でも二日でも良い。売れる売れない、動員数、資金力の有無、それらに関わらず、本当に素晴らしいと思える(その基準はひとそれぞれ違うが)ミュージシャンを応援する、“粋”な計らいをしても良いぢゃないか。

だが、その様な、ミュージシャンに優しい、音楽に恩返ししている様な店は、たいてい資金難で窮している場合が多い。

ライヴハウスがいくら増えても、誰もが気軽に人前で演奏が出来る様になっても、良い音楽なんて増えやしないし、ましてや、全体的な質はどんどん落ちていくだけである。

いつだってそうだ。ブームと見りゃあ、儲かると見りゃあ、すぐ飛びつきやがる。音楽よりお金が好きな奴等のせいで、エネルギーは無駄に消費され、何もかもが台無しになる。すべてが目茶苦茶に、すべてが荒らされ、すべてが汚され、すべてがぶち壊しになる・・・。

あの趣味の悪い装飾、内装、構造、態度、姿勢・・・。まるで、そのいやらしいこころが透けて見える様だ。

こっちはニワトリやモルモットぢゃ無えんだ。人を家畜か奴隷扱いしやがって。

いくら壁や床が綺麗でも、そんな“ハコ”、下品極まりねえんだよ!!

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