IT'S talk TOO MUCH
タカハシ VS カミムラ の フリートーク
■ 2004/09/13 (Mon) もはや久しぶりとも言えぬ高橋 平将門もしくは足利義教、海を越えれば遥か昔の曹操などを待望する今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?忘れてしまう前に(忘れられてしまう前にか?)言っておいたほうが良いようなことがあるので、唐突にここへ登場しました。
先日の、わが国のすぐ近くにあってわが国の70年前ぐらいの状況に似た様相の、でも東京ディズニーランドフリーパス出来ちゃうような人がいる国での爆発騒ぎ、あれはいったいなんなのですか?水力発電所建設のためだという説明は英国経由で流れましたが、???今年で2回目ですよ?いや私は核がどうとかミサイルをなんだとか言おうというのでは全くないのです。それらはもういろんな専門家や知識人なんか(専門家や知識人なんか!)が毎度仰る鋭い分析なんで、もういいのです。ですが彼らが一言も触れないある一つの可能性は、それはないのでしょうか?モンティーパイソン育ちの僕なんてつい真っ先に思いついちゃって猛反省すべきなんですが。あのねそれはね、内緒ですがね、あの爆発騒ぎって実は「間引き」なんてことないでしょうか?黒すぎますか?国家規模の間引き。だって、人を養うにはいろいろかかるでしょう?かかるからもう養えなくなっちゃってそしてどうするかっていうのはいろいろあって、それらはわが身に覚えのあることでもありますが。あ!?もしかして今言ったようなことは実は皆さんとっくに感づいていて、しかも口に出すと面倒なこともあると知っているから、ただ話題にしないだけなんてこと?ですか?だとするなら上村君!悪いんだがこの書き込み削除しちゃってやって下さい!裸の王様ってやつぁぼかァ嫌いだ。
なんていうようなことを、「911ってもう3年経ったのか。去年のことじゃなかったのか?あの時亡くなった人達の数とそれ以降にそれがらみで亡くなった人達の数ってどれほど違うのかなあそれにしても追悼イベントすら未だひらけないままにいる人達はいつ献花や青いレーザービームやコンサートを、思い出として刻みつけられるようにと楽しめるのだろう」とか思いながら思ったのでした。(最近つくづくジックリ考えるべき事件が次々繰りだされ過ぎだと参ってますよ。)
■ 2004/06/28 (Mon) 庶民的 / かみむら 参院選の季節になりました。みなさんのまわりでも騒がしいことだと思います。そうとうシニカルになっている僕ですが、選挙権を得てから選挙皆勤賞なので、今回も行くとは思います。ところでいわゆる野党系のなかの候補(もちろん個人的には野党に仕方なくも期待をしていますが)の中で、「庶民的」な感覚を売りにしている人がいます。感覚的には正しそうに感じなくはないでしょう。でも、どうかな?自分の働いている会社でもなんでもよいけれど、そこを立て直す時の社長や役員や重要な役割の人って庶民的でいいの?やっぱり特別な感覚な人のほうが(ようするにプロってことだけど)よくないですか?カルロスゴーンって庶民的なのかなあ。一般人なのかなあ。だんだん文体が崩れてますけど。別に暑く、ちがった熱くなってるわけではないのですが、推敲するのがめんどうになっているだけ。「母として起つ」というキャッチの人もいました。街頭演説きいてるととても好感もてるし、ルックスも素敵だし、まじめな人なんだろうと思います。でも政治家にならなきゃいけないんなら、「母」というキャラはある意味捨てなければならないのではないかな。「母」という経験はすばらしいし、役立つものかもしれないけれど、政治家として、国のために動く場合には「母」としての役割と反することもたくさんあるのではないのだろうか。スーパーでの野菜の値段を知ってるよりも(知ってたほうがいいけど)もっと大きな経済や政治や国際情勢やもしかしたらスパイ活動なんかも含めてほんとのプロが必要なのでは、なんてちょっと思いました。もちろん与党側、「庶民的」でない人たちがプロかというと、まったくそんなことはなく、どう考えてもそのへんの焼き鳥やでくだまいてるおやじと変わらないかそれ以下くらいの歴史観やパースペクティヴのない人ばかりにも見えます。なんかまた怒れる若者っていうか、たちの悪い学生みたいになっちゃったなあ(笑)。ただの音楽屋のおっさんなんですけど。。。
■ 2004/04/19 (Mon) 村上春樹 論 今日 朝 仕事に向かう途中で 村上春樹イエローページ2 ってのを買った。村上春樹論っていくつ出てるのだろう。その大半を持っていると思うし、今回買った本になにか衝撃的なものがあるわけではない。確認できるのは村上春樹の仕事のすごさ。もちろん日本の「文壇」や「学会」的な評価がさほど高くないのも知っているし、「ノルウェイの森」以降の女性誌を中心とする人気もどうかとは思う。でも現実としていまや日本人の作家としてもっとも多くの国で読まれている作家であるし、過去も未来も(未来はわかんないか)とにかく突出しているのは間違いない。そのくらい国を超えた作家なのだ。そしてデビューして約25年の間にやってきた仕事量。けして多くはないかもしれないが(たとえば村上龍と比べて)でも、アメリカの大学で教員をしたこと、翻訳した小説の数、アンダーグランドのようなノンフィクション、出場したマラソン すべてを考えれば。。。そんな中でぼくは40歳も目の前に何をするか などとおこがましくも思うわけだ。何も答えのない文章を書いている。でも、書くことで答えが出る可能性もあるはずだ。そこになにかの救いがあるかもしれない。確か村上春樹もそのデビュー作の冒頭でそんなことを書いていたはずだ。
■ 2004/02/20 (Fri) 母国語 かみむら 地下鉄に乗っていたら、英会話学校の広告がいくつかあった。
黒人さんが落ち込んでる図。コピーは 「日本人に言われちゃったよ」的なもの。正確には覚えてなけれど。説教したのか、けんかしたのかはしらないけれど英語でがつんと彼に言えた日本人がいたってことを言いたい広告なのだろう。なんか違和感。日本人に言われちゃいけないのか。同じ広告が「フランス人に言われちゃったよ」でも成立するのか(フランス人に対する英会話学校の広告としてね)だいたいその黒人が英語圏の言葉を話すとなんでわかるのか。日本語ぺらぺらで、説教した日本人は東北弁だったってことはないのか。なんて考えてたら、その上に「英語を第二の母国語に」みたいな別の学校の広告もあった。最近読んだ本に書いてあったけれど、自分のしゃべる言葉に「国」と使うのは日本ぐらいだそうだ。「母」は使うけれど。だって英語話せないアメリカ人いっぱいいるものね。英語は彼らの母国語じゃない。だいたい「英」語だし。日本語話せないと日本人とは認めないって感覚がこの国にはある気がする。両親日本人で、でも海外で育ったためにまったく日本語が話せない日本人がいたら「日本人のくせに」って言うのだろう。逆に西洋人的ルックスの「日本人」も認めない。日本で生まれ、日本国籍を持ち、日本語しか話せないアングロサクソン系の人がいたら、「外人なのに日本語じょうずですね」と思うのだろう。だいたい日本人が単一民族国家であるなんて幻想にすぎないのに。まわりを見回してみよう。中国系、朝鮮系、インド、ベトナム、タイ、モンゴル、ロシア系などなど、いくらでも分類できるはず。でもそんな元々はばらばらの人種的ルーツを持つぼくらがなんの疑いもなく、同じ日本人だと思える、その根拠は日本語が「母国語」だってだけかもしれない。
■ 2004/02/18 (Wed) 確定申告。 かみむら 本来、源泉徴収→年末調整の身なんだけれど、引っ越しのせいで確定申告しました。あまりに無駄が多くややこしい書類の束、住民票や登記謄本など集めなければならない書類の多さと発行料金の高さ。まったく消耗させられました。ただ20年くらいただただ自動的に税金や保険料を天引きされるがままにしていて、そういったものに相当な金額を払っていることを実感できたのはよかったかなあ。アメリカ人がそれなりに政治に関心が高いのは、税金の申告を自分でしなければならないからだって説もあるし。夜、車で都内を走ってると例年に増して工事だらけ。区役所にいけば意味不明な彫刻がたくさんおかれている。ぼくらはもっとそういったことにリアリティを持たなければならないのだと思ったよ。
■ 2004/02/09 (Mon) いやいや、たいしたもんだ。。 かみむら しばらくぶりの書き込み。若干荒れてるような(笑)。
前段部分、想像できる箇所と想像を超えてる箇所があるので、今度、直接ゆっくり聞くよ。話したいことであれば、さ。
ところで、後段。ぼくの中途半端な引用からそこまで読み取ってもらえれば、福野氏も本望でしょう(笑)。僕が引用した部分の前後を読めば、だいたい君の言う通りのことが書いてあります(笑)。つまり「経験は重要である。ただしそれだけでは、ほとんど頼りにならないので、あまりあてにするな。その主観的な経験を分析、判断し、客観的に使えるようにならなければならない。」ってなことかな。でもとりあえず車の話なので(笑)
>経験はイコール過去。で、過去は往々にして先入観という罠を張っています。僕らはここで自分の経験を現在に生かすために微調整、それこそ客観視、するわけだね。例えばスイッチ一つ押すとして「これがスイッチだろう」と認識するのは全く過去の経験のおかげです。で、間違う、と新たなスイッチを探したりレバー見つけたり。の微調整。するとさ、機械に沈着に対峙する方法はたぶんひとつしかない。経験を総動員して絶えず変更点に注意する、のがいいのではないでしょうか。
はいはい、まさに経験から来るところの先入観は当てにならんと言っているわけですね。同感。さらにつっこませて頂けば、間違わなかった場合も考えなければならないわけです。なぜ正しかったか。それから経験を総動員して絶えず変更点に注意する」ために必要のが勉強だ、と言っているわけですね。ただ体感だけの経験だけでは後追いになるわけです。経験するまではわからない、といった感じ。そこで、前にここでも書いた、「感じるな、考えよ」な訳ですな。過去の経験を現在に活かすというのはある意味相対的な訳です。車で言えば、前に乗った車と比べて、今度の車は・・・、という考え方。ではなく、なぜ前に乗った車は・・・な感じがあったのか、を勉強することで、だから今度の車はだから、・・・な感じがするのか、が分かり、その先には乗らなくてもだいたい間違いなく把握できる というようなことであります。まあ、君は十分わかっていると思うので、うだうだこんな言葉遊びのようなことをする必要もありませんが(笑)。聞き流してくださいな。
■ 2004/02/07 (Sat) お?熱いね! たこ 突き詰めていって客観的になる…かぁ。分かるような分からんような。ていうか、放っておくと勝手に客観的になってしまうのでなんかもうどうでもいいやってな感じで非常に主観的にいっちゃえ、的な、頑固爺に向かって一直線な今日この頃って感じもないではないのではないかい?僕らは。積極的にグレてるさ僕は。連中(僕らがオフレコで批判する連中ね)の訳知り顔を見ているともう腹が立つやらあきれ果てるやらひょっとして自分がおかしいのかとかいって自問自答したりとかしちゃってさ。ぐるり回って初めに戻るといった呈で極めてわがまま。我まま。周回して腹据わってるので結構手ごわいよ、私達は。ね。文化人とか大嫌いだ!っとおっとつい唐突にシャウトしちゃいました。ついでに「どこが与党でも同じでしょ、結局、ははは」とか余裕かましてる風味な奴とかももう!シャウトします悪しからず。なんかあったのか?俺。
まあいいや。
でもね、その福野礼一郎という人の「経験はほとんど役には立たない。」っていうのには僕は躊躇するね。「経験は{そのままでは}ほとんど役には立たない。」でせめて妥協できるか、な。以下私見。経験はイコール過去。で、過去は往々にして先入観という罠を張っています。僕らはここで自分の経験を現在に生かすために微調整、それこそ客観視、するわけだね。例えばスイッチ一つ押すとして「これがスイッチだろう」と認識するのは全く過去の経験のおかげです。で、間違う、と新たなスイッチを探したりレバー見つけたり。の微調整。するとさ、機械に沈着に対峙する方法はたぶんひとつしかない。経験を総動員して絶えず変更点に注意する、のがいいのではないでしょうか。(でもこれじゃ当たり前すぎて退屈なので、注意/認識してなお無視してみるのも私的にはいと趣し。)
でもなんで俺は同じ間違いをいつも繰り返してるのだろう…
あ、なお無視するからか!
ちょっと泣いてきます。
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