毎日書けりゃいいけどね
■ 2006/10/06 (Fri) これからのイベントについて 今月はハロウィン、来月は14周年、年末は大晦日って、所謂この店の3大イベントが控えてます。正直言って今月、来月まではなんとか続けることは出来そうなんですが、その先は予断を許せない状況です。これが最後のつもりでこれらのイベント、出来るとこまでは盛大にやってしまいたいんです。出演希望とかアイデア等有れば連絡下さい。それ以外のイベントは先月の最終土曜を最後に、主催をやめます。その代わりに、持ち込みイベントは積極的に相談に乗ります。あらゆるカテゴリーに対応します。今月/来月はまだまだ日が空いてますので、どうぞよろしくお願いします。
機材のメンテにもなかなか充分に手がまわりません。今回スピーカーユニットは交換しました。まだまだ楽器系でいじっていきたい箇所は多く有ります。なかなか余裕が有りません。チャージ/機材費等無しで維持するにはやっぱり無理が有りますね。
■ 2006/09/30 (Sat) 9月の終わりの日 金曜日の深夜(土曜日の早朝)3時、暇だったので思い立って東淀川は豊里のレゲエおやぢさんの店[MOCO MOCO]へ。何回行ってもいつも店の近所で迷う。着いて4時。朝迄やってる「決してレゲエをかけないレゲエ雑貨とCD/レコードのお店」なのだ。いつもこの時間は店あけながら爆睡するという危険極まりないことをよくされてるらしいので、起こしに行ってやろうってとこ。おやぢさんは珍しく起きていた。こんな辺鄙?な場所でも今日は「1万以上売れましたわぁ〜」だって。豊里恐るべし!おやぢさんとおいら、根底に流れるあまのじゃく加減はどっこいどっこい。ひたすら傍若無人に凹みまくったり、うかれまくったり、ってとこも共感に値するところ。お互い40は遥か遠く超えてしまって、四捨五入するとしっかり50になるというのに、このガキ具合はどうだ!いい歳こいても女にゃ弱いのさ、二人とも。中谷美紀、シノラマ(頭脳警察のトシのユニット)、ブラック・ページ、リチューニング・サンのCDと山下洋輔トリオのLPを購入。全部で何と2400円!安!まだまだお宝有るよ!おいらはアナログで出てるものは敢えてCDで買わない主義なのでやめたけど、けっこうプログレ/サイケもの多し。おやぢさんと意気投合すれば破格値で売ってくれるだろう。
朝、一寸前にもらったユニバのチケットが今日迄の期限だったので、もったいないので一人っきりで寝ずにUSJに向かう。
今迄もう10回は軽く行ってるので、まだ見てなかった「シュレック」とオズのアトラクション二つの3箇所を急いで廻る。土日は必ず避けてきたので、土曜の朝イチからの込み具合にゃへとへと。同じ此花区内とはとても思えぬ。人、人、人。あ〜この10000分の一でも毎日店に来てくれりゃ、こんなことにゃならなかったのによぉ〜。西九条に未来は有るのか?!ハロウィンのパレードを見る気力尽きて挫折。帰って爆睡。
7時起きて店開けた。東京からクリス来るが、客無しで悪いので、弁天町の「吟遊詩人」に行ってもらう。せっかくだけどしょうがないね。今日はイベントの予定だったけど、これじゃ無理だね。まあこんなもんかな。もう店主催のイベントはやらないことにする。持ち込みは大歓迎だけどね。う〜んハロウィンも微妙だな。
■ 2006/09/28 (Thu) またまた携帯が止まってしまってます。 先月で最後だと思っていた、息子のパケしまくりの支払いがまだ残ってました。今回分が彼が田舎に行った直前迄の7月一杯の分です。最高額でした。6万ちょっと。まったく払えません。と言う訳でしばらく携帯止まったままになると思います。連絡は店まで、それかここのメッセージにて受け付けます。
■ 2006/09/27 (Wed) 久々に日記でも.......。 mixiじゃけっこう書いてるけど、見れない人もいっぱい居るって言われたモンで、重複覚悟で書きますね。
とりあえず今日の出来事。
夜、店開けて、久々の来客。くらとわら氏である。なんやかやで気持ちの行き違いが去年有って、それ以来なので10ヶ月くらいの御無沙汰か。彼とは今迄度々こんな感じ。何はともあれまた来てくれたことは嬉しい。彼なりにいろいろ有り、おいらにもいろいろ有って、彼なりにおいらを心配してくれてたことに感謝。
深夜「かもめ食堂」を一人で観た。フィンランドってよさげなとこだね。エアギター選手権においらも出てみたい。
■ 2006/06/28 (Wed) ここんとこ 大変なことに...。
日々の出来事はすべてmixiに書いてしまって、ここに書くのは重複してしまいます。よろしかったらそちらまでどうぞ!
mixiなんて知らないよ!って方、よかったら招待しますよ。
メールして下さい。
■ 2006/01/26 (Thu) 父の死(一連の騒動〜Mixi日記より〜)続き 1/18の日記より
18日改めて三田へ。この日はお通夜。ウッディタウンのメモリアルハウスへ移動。7時よりお通夜の法要。何十年ぶりの2回めの勤行。題目はいいんだけど、経文全部忘れてしまってるし、その部分は手を合わせるだけにしておいた。遺族なんでまっ先にお焼香。それから立って皆に黙礼。友人葬なんで僧侶は来ない。地区の代表の方々が導師。わりとあっさりと終了。久しぶりの親戚が揃う。控え室は弔問外交真っ盛り。ひとしきり食事とビールを腹に詰めて、やること無いので三田の街を散策。ニュータウンは夜になると死んだように静かだった。仕方なく三田駅のほうへ電車で移動。神鉄って高い。なんで同じ市内で駅5個くらいで320円もするんだよ。結局ここでも何もおもしろいところは発見できず、帰ってくる。田舎ではどうやら生きていけなさそうだ。19日11時より告別式。中身はお通夜とほぼ同じ。最後に花壇の花を切り花にして、参列者一同が棺の中に入れた。これが見納めになるようだ。死ぬ前にもうちょっと話しときゃよかったな、なんて思いながらぼんやり父の顔を見た。式終了後すぐ棺を霊柩車に乗せる。男手は兄と私の二人だけなので、棺を担ぐ役が決まっているらしい。これから焼き場に移動。ここでも勤行(3回目)納棺してメモリアルハウスに戻り食事。ほどなく焼き場に再出発。火葬には2時間くらいかかるみたい。ここでも勤行(4回目)と焼香。親族のみ通されていよいよ御対面。人間って火葬にするとこんなになっちゃうんだね。大腿骨、頭蓋骨、あごとかしか形が残ってない。まるで化石の発掘か。すべてが黄土色混じりの灰色。足の指とか喉仏とかの骨5点ほどを先に小さな骨壷に喪主の母が納める。その後足の方から順に箸を使って入れていく。全部入れるのかと思ってたら、入り切れなくて大きな骨だけ入れるそうな。あとの骨はどこかのお寺で供養するらしい。背骨なんかはへちまか軽石みたいに軽くてすかすかだった。老人など骨が弱ってるとこんなんだって。頭蓋骨も指で少し押してみると、簡単に砕けた。例えれば炭酸煎餅か。死んだら皆こうなるんだね。理科の実験みたいに、不思議と悲しいとかの感情より、皆「ほー」みたいに無邪気に観察、骨を拾っていった。お骨を貰って白いふろしきに包み、またホームへ移動。すぐに初七日の供養が始まった。中身はまったく一緒。勤行(5回目)、焼香、挨拶でおしまい。片付けして私は大阪へ帰ることにする。息子は叔母の一人の家に週末まで預かってもらうことに。叔母達は京都育ちで、宗派も違うせいか最後迄やりにくそうだった。列席者の殆どは学会員で占められていたから。母に香典くらい頂いとけばいいのに、って言っても、学会内ではそんなことしないんだって。父が入退院繰り替えしていたときも、今回のことも、ずっと地区の学会員の方々にお世話になってるって、母はとても感謝してるって。お通夜から初七日まで殆ど同じ顔ぶれだった。
父や母がそれでいいなら、私は何も言うまい。ただ私がもし死んだら、日本国内なら火葬は避けられないとしても、遺灰はどこかに流して欲しい。望むならガンジスとか。葬式はいらない。墓もいらない。付き合いで、とかの方は無理しないで。私のネタ肴に馬鹿だったよなー、とか言って笑って欲しい。人間一番寂しいのは、忘れ去られることなのですよ。1/24の日記より
先週は殆ど葬式とかで店の営業できなかった。今日も事後処理とかやんなきゃならないし、昼間の仕事もかなり休んだし。月末までにまとまった金要るのよね。あー困った。家賃とか弁護士費用とか。是非ともご来店の上、売り上げに協力お願いします。面目ないですけど。まあざっとこんな感じでした。
近いうちに実家に戻らなきゃならなくなりました。母を一人っきりにはできません。息子の将来も有りますし。今日明日ってことは無いのですが、そんなに遠くないうちにです。
この店についてですけど、.......ここ何ヶ月の状況を見て、どうするか考えます。今迄みたいに暇な状況が今後も続くようなら、........?
まあ、気が済んだと言えばそうですし、なんのまだまだ!って思いも有ります。お早めのご来店、お待ちしております。
■ 2006/01/26 (Thu) 父の死(一連の騒動〜Mixi日記より〜) 一連の騒動あり、何日か店休んでしまって、皆さんに多大な御心配(とうとう潰れたか!とか)お掛けしました。詳しくはMixi日記見て頂ければよいのですが、入って無い人も多いもので、事の顛末について、改めて書き移しておきます。
1/17の日記より
突然母から電話。父が心肺停止になり、病院で心臓マッサージをしているが、おそらくもう無理なので、急いで来てくれと。昼の仕事を寸前でキャンセルし、息子を学校まで迎えに行って、三田の病院に向かった。着いた時にはもうすでに父は亡くなっていて、病理解剖中らしい。間に合わなかったか。悲しみとかの感情があまり出て来なかった。かと言って決して薄情とかそんなつもりは無い。是迄身内の死亡とかの経験が無く、未だ実感が湧かないのだ。仕事先、友人、それに娘がいる前妻にも電話をかけた。本当は行方不明中のヤツに伝えたかったが、それは叶わないこと。皆一様に「気を落とさないように」とか言ってくれるが、気を落とすも何も、本当にピンと来ないのだ。友人の一人が「俺のときもそうだった。1年位して、しみじみ思い出す」のだそうだ。そもそも父と私はそれ程仲が良かった訳じゃ無かった。むしろ苦手で嫌いだった。彼は家人としてより、外での付き合いを重視していた。人当たりが良く、お調子者で、知人が困っていると、借りてまで援助を惜しまなかった。いい加減なくせに、とても固い職業で、私はああは成るまいと、無意識に今の生き方をして来たのかもしれなかった。しかし私も大人になり、幾つかの家庭を作り、子供までもうけるようになり、彼の生き方に少しづつ共感を覚えるようになった。母曰く、私の性格は父をまったく同じだそうな。違うのは職業の選択と、女の選択が最悪なことだとか。夕方一旦家に戻っていた母が病院に戻って来た。お世話になっているとかのS学会の御夫人2名と共に。特に父が入退院をくり返しているときに、あれやこれや尽力されてきたらしい。担当医から、解剖結果や、死亡に至ったであろう原因などを聞いた。直接的には心不全らしい。つい最近母と今後の生活について相談したばかりで、その中には父の介護も覚悟をしていたので、正直ほっとした。寝たきりになるでなく、普通に朝起きて、食事をとり、母と会話をして、母が気がつけばもう心停止らしい。まあ大往生ってやつか。父の亡骸と一緒に実家迄帰った。家には何人もの学会員の方々が集まっていた。ある種の居心地の悪さを感じつつ、挨拶をした。父の亡骸を初めて見た。糖尿が炸裂するまでの恰幅のよかった頃からは、考えられない程やせ細った父の姿がそこに有った。葬儀屋が手際よく布団に寝かし、頭を固定し、ガーゼを毛布のように身にまとわせ、組んだ両手(手首には紐で縛られていて、罪人みたい)の部分を指先で割って露出させ、ドライアイスを体のあちこちに配置し、掛け布団を掛け、薄く開けていた右目を指で幾度か摩って閉じさせ、最後にどこかの国旗みたいな三色の織物を布団カバーのように覆わせた。その一部始終を、こうやるものかと、興味津々で眺めていた。動物は死んだらたちまち、ぺちゃんこになってしまうが、父の顔をみていると、ふと今迄飼ってきた狸やら、プレーリードッグやら、フェレットやらの死んだときのことを、不謹慎にも思い出した。祭壇やら、花やらの配置が終わるや否や、いきなり勤行が始まった。私は関連教育機関卒業以来、してなかったのにもかかわらず、親族ということで最前列に座らされ、殆ど忘れてしまっていた記憶を辿り、皆に合わせることに努めた。隣では息子が嬉々として題目を唱和している。向かいでは母が感極まって泣き出している。それらを眺めては目を閉じたりしている私は不思議なくらい冷静だった。終了後婦人会の方々と、段取りについて打ち合わせ。その後やっとお帰りになられた。葬儀屋と、あれやこれやの打ち合わせ。パンフレットを見ながら、祭壇はこれ、花はどれなど、うんざりするくらいの、選択をしなければいけない。Aいくら、Bいくら、Cいくら等、明確に料金がのっていて感心した。学会で言うところの「友人葬」なので、僧侶のお布施、戒名料とか、私がずっと無意味だと思っていた「無駄な」費用が要らないことが有り難い。信教の選択の自由はもちろん尊重するが、こういった部分に関しては、学会はいいかも?と思った。何十年も会って無い、父方の姉妹、所謂叔母さん二人とも再会できた。最初は緊張したが、ざっくばらんな性格が幸いして、すぐに小学生だった頃の自分に戻れた。息子はしばらく実家に預けることにして、私は要るものを取りに一旦帰ることにした。そして今これを書いている。明日は通夜、そして明後日は葬儀である。
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