HAPPY&LUCKY 日記
■ 2008/11/09 (Sun) 父(享年71歳)の生涯を支えてくださった全ての方々へ 父は平成20年11月4日火曜日の早朝に昇天しました。5日水曜日が前夜式、6日木曜日が告別式でした。昨日の7日金曜日は実家に行って何か手伝えることはないかと弔問者カードをパソコンに整理していました。みんなといることでずいぶん悲しみがまぎれました。今日は土曜日、明日は日曜日、そうして間もなく激動の1週間が終わります。10日月曜日からは私も仕事に戻ります。忙しい生活のリズムはこの悲しみを封印するでしょう。
治ることを信じて治療に専念していた日々や、つらい抗がん剤治療の日々、そして一時帰宅を喜ぶ様子など、メールの文面から伝わってきます。間もなく体力が落ち、ついにはメールすら打てない日々がやってきます。10月26日が最後のメールです。それでもなんとかしゃべることはできたので私は毎朝電話をしました。間もなく電話に出ることもきつくなっていきます。呼吸それ自体ができなくなりつつあったからです。
4日火曜日の早朝に、弟嫁に「お姉さん、すみませんがすぐ病院に来てください・・・」という電話をもらって、すぐに駆けつけることができたのは、夫がたまたまこの日も休みだったからです。この後、家のことを気にせずに、父のことだけに専念できた陰には夫の存在があります。早朝でまだ真っ暗ななか、中国自動車道をぶっとばしました。涙が出てきて運転が危ないので「運転中は絶対泣いたらあかん!」と何度も涙を我慢しました。
病院に着いたときには、もう父は息をひきとっていました。でもまだ体は温かかったです。弟と弟嫁と母が泣いていました。弟は父に「頑張ったな」「もうしんどくないで」と言っていました。前述したように、この日は母と弟嫁二人が泊まってくれていました。母がどうしても一人では不安だということで、次の日仕事があるにもかかわらず弟嫁にも宿泊をお願いしていたのです。二人で父の最後に対応できたことでどれほど母は心強かったでしょう。本当にありがとう。
前夜式では、会場に人が溢れ、溢れた人がロビーに溢れ、それでも入りきれなかった方々が、会場の外にまでいらっしゃいました。寒かったことでしょう。たくさんの方々が純粋に父の死を悲しんで涙を流してくださっていました。
父はお金持ちなわけでもなく、何か偉い役職についている・・という人でもなく、単なる普通の年金暮らしのおじいさんです。性格も、しゃべることがうまいわけでもなく、次から次に面白い話をするわけでもなく、どちらかというと職人肌で無口なほうです。気持ちは優しい人なのですがうまく表現できていないときも多々あります。そんな父なのに、こんなにもたくさんのお友達がいて、その方たちが父の死に、こころから涙を流してくださっていることに本当に感激しました。人目をはばからず号泣してくださっている方もいました。
私は自分が死んだときに、本当にこころから泣いてくれる人がどれだけいるかと聞かれて、答えられる自信はありません。高校のときの私の友達がわざわざ告別式に来てくれました。彼女からあとでもらったメールに「善く生きた人には、善い死が訪れるって思いました」とありました。「告別式に行って不謹慎かもしれませんが、なんだかお父さんから勇気をもらって帰りました」とも書いてありました。
71歳でのお別れはまだまだ早いような気もしますが、人の齢は神様が決めるもの。今がそのときだったのでしょう。神様のご計画を受け入れて、わたしも気持ちを整理する努力をしなければなりません。
病院入院中も、ホスピス入院中も、母はほとんど毎日看病のために病院に通っていました。母が頑張ってくれているのをいいことに、私は仕事を優先し、気まぐれにしかお見舞いに行きませんでした。遠方から車もない状態で7ヶ月以上毎日病院に行く・・・というのは並大抵のことではないと思います。このことは孫の優も感心していました。孫はちゃんと二人を見ています。彼から言われたことを三つ書いてみます。
「お母さん、おばあちゃんとおじいちゃんってすごいなあ。お見舞い毎日なんて普通はできひんで。あれって夫婦愛やなあ。」
「お母さん、人は生きてきたようにしか死ねないね。一番いい生き方は、生まれた時には自分は泣いてまわりは笑顔で、それで死ぬ時には自分が笑顔でまわりが泣いてくれる・・・やなあ。」
「人の価値はお金とか身分とかじゃなくて、死ぬ時にどれだけの人が自分のために心から泣いてくれるかやなあ」
彼はわずか14歳ですが、父と母の生き様から色んなことを感じ取っていたようです。ありがたいことです。
いつも父や母と仲良くしてくださっている方々、本当に本当にありがとうございます。これからも、父のことをどうぞ忘れないでいてください。そしてもしお時間が許せば、気軽に家に遊びに来てください。そして母とのおしゃべりを楽しんでいってください。弟夫婦も私も、どうしても平日は仕事優先にならざるを得ません。母の寂しさはきっと人との交わりの中でのみ癒されると思います。どうぞ本当に遠慮なく家を訪ねてください。
■ 2008/10/29 (Wed) 老老介護 今日は午前中だけ病院に寄って昼からは学校に戻るつもりだったのだが、父の容態が悪く結局一日いた。介護休暇を一日取った。
どうやら肺炎になっているらしい。時々呼吸が困難になる。肺癌で肺炎・・だからホントに呼吸がしんどそうだ。全身で呼吸をしている印象がする。酸素を機械で送り出して息をしている。トイレも介助なしにはできなくなっている。
背中をずっとさすっていたのだが、骨が手に当たって痛々しかった。ここまで痩せてしまったんだね・・。
昨日は床で転んでしまったらしい。ナースコールに手も届かず、立ち上がる筋力もなく夜中にかなり怖い思いをしたらしい。
だから今晩は母が泊まることになった。72歳を71歳が介護する現実・・。仕事がなければ私が泊まるのに。母が倒れたら皆こける。
危うい綱渡りの介護が続く。
■ 2008/10/26 (Sun) ホスピス 父は長い間抗がん剤治療に耐えた。脳への放射治療も頑張った。でももうこれ以上体を痛めつけることはやめる。これ以上続けることのデメリットの方が大きいからだ。
転院した病院はホスピス病棟。綺麗な温かい雰囲気の病院。看護婦さんも優しい。お見舞いに病室に犬を連れてきてもいいなんて画期的だ。父の犬は大型犬なのにお見舞いに行ける。
会うたびに弱っていく。会うたびに細くなっていく。でもまだ会話ができるから嬉しい。頭はしっかりしている。毛はもう副作用で抜けてしまったが。
脳への放射のとき、「治療をしないと痴呆の可能性が高まり、したときの副作用は痴呆・・」といわれ、どっちも痴呆やんと突っ込みたくなったが、今でも話しはちゃんとできる。それがありがたい。
何も望みません。みんなでお正月がむかえられますように。
1月の私の誕生日会が一緒にできますように。去年わたしの誕生日会として、近場だったけど1泊旅行したのすごく楽しかったね。
もう一緒に旅行いける体力はないけど、いてくれるだけで嬉しいからね。生きててね。
■ 2008/06/08 (Sun) 従兄弟 from 東京 父のお見舞いに行った。抗がん剤治療のせいで毛が抜けていく。ベットの上は抜けていく頭髪が落ち、母が家から持ってきたガムテープで上手に取っていた。
東京から私のいとこ達が来てくれていた。たぶん元気なうちに会っておいた方がいいという叔母の計らいであろう。父も「同窓会みたいだ」と喜んでいた。デジカメでいっぱい写真を撮っていた。
きっと私たちが帰ったあと、静かな病室で何度も何度もその映像を見るんだろうな。そう思うとなんだかせつなくなる。
■ 2008/06/04 (Wed) ゴールはどこ? 土日は父の病院に行くと決めている。だから12月までの土日の予定は全部キャンセルした。・・しかしここにきて部活の合同練習の予定がバンバン入り始めた。
どこまでいっても暇にはならないのか。暇になるのを待っていたら老人になってしまう。ならば忙中暇あり。隙間時間を有効に使っていきたい。
教員免許状も更新制になりこの夏もそのための研修がバンバン入る。結局お盆に休みを取るしかない。
この加速はどこへ向かう為のものなんだろう・・・。
■ 2008/05/25 (Sun) 一周忌&見舞い 土曜日は義父の一周忌。墓参りを総勢14名でした後お食事会。夫は兄弟が多いから、それぞれの兄弟がその奥さんや子どもを連れてくるととてもにぎやかだ。
それが終わってから今度は自分の父親の見舞い。片道1時間半ほどかけて到着。すっかり夕方だった。お正月に皆で旅行に行った時の写真を何枚か持って行った。裏に息子にメッセージを書いてもらって。
4週間単位の治療を3クールすると言う・・・となると3ヶ月は入院なのかな。長いね・・・。自宅に戻りたいだろうにね。早く良くなるといいね。
■ 2008/05/23 (Fri) 治る! 父が入院した。家でその病名と進行度を検索すると、どのHPにも全くいいことは書いていなかった。
どこかでもし生存率5%・・という文字を見たとして「100人のうち95人はあかんねんや・・。」と思うか「ラッキーな人が5人もいるんや。」と考えるかで体の免疫力も変ってくるとおもう。わたしは後者で頑張りたい。
きのうまでは、もうショックで知らず知らずに笑顔が消えてしまっていたが、今日からは、また退院して、3世代で城崎温泉に行く日を楽しみに看病しようと思う。
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